高等遊民の雑記

30歳、無職。一念発起して音楽アルバム製作中。音楽、映画、美術、読書、その他日常の話を徒然なるままに。高等遊民の雑記。

モモ

先週末から、当ブログを除く

全てのSNSを閉鎖した。

大好きだったパズドラもアンインストールした。

今ゲームの類はiPhoneに一切入れていない。

様々理由はあるのだけれど

とにかくこのままではいかん、という思いからだ。

 

先日、今更ながら

ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ。

素晴らしい本だった。

まだの人はぜひ読んでほしい。

 

浮浪児のモモは不思議な女の子で

特別な力は何一つもっていないけれど

とにかく人の話を聞くのがうまい。

街の人はみんな、何かあればモモのところへ行く。

モモと話をしていると悩みは解決し、創造力が湧く。

 

そんな街に時間泥棒の集団が現れる。

時間泥棒は人の心の満たされない部分を刺激して

とにかく時間を節約させる。

例えば、

あなたは夢があるが、時間がないと言うが

1日は何秒あって

あなたは雑談や睡眠で何秒無駄にしている。

切り詰めて働くことで時間は銀行に貯蓄できるシステムだ、みたいなことを言ってくる。

聞き入れた人間はとにかく働いて金を稼ぎ

夢を叶えるが

人と人との絆はギクシャクして

人生は輝きを失っていく。

 

人間が節約した時間は

銀行に貯蓄されたりはせず

泥棒たちの生きるエネルギーになる。

モモは時間を司る神さまに会って

泥棒たちから時間を奪い返すというのが

大体のストーリー。

 

時間を奪われたレストランが

いつしかファストフード店になって

モモは馴染みの店主に話を聞くために

トレーに料理を選び、レジ列に並び 

会計のタイミングで店主に話を振るのだが

後ろの客に怒鳴られ、すぐに追い立てられてしまう。

仕方なく何度か並び直して

その度にオーダーする姿が物悲しい。

これはとても印象に残ったシーン。

 

時間泥棒は奪った時間を

タバコにして持ち歩き吸っている。

これを切らすと死んでしまう。

対して人間のもつ時間は

花として具現化して描かれている。

 

そうやって描写されて

ぼくは初めて気付いたのだけれど

時は金なり、と言うが、それどころか

時間は命そのものなのではないか。

 

時間泥棒の手口より鮮やかに

ぼくらは時間を奪われている。

スマホの画面をいじくっていると

あっという間に何時間も過ぎてしまう。

気付いていても止められない中毒性もある。

 

依存症を断つために最も有効な方法は

だんだん減らす、緩やかに止めるではなく

いっぺんに絶ってしまうこと。

と言うわけで

SNSとゲーム類を

しばらく断ちます。

 

生活が変わった後

また必要になったら

復活させる予定。

 

運がいいやら悪いやら

今日は英検2級の二次試験だった。

面接である。

12:50集合で

我が家を11時に出ればよかったのだが

5時に起きて目が冴えてしまったので

洗濯と朝食を済ませ

たっぷり予行練習をした。

 

準備万端で家を出たはずが

財布を忘れてきたことに

駐車場の手前で気付く。

本来は料金前払いの駐車場なのだが

受付の人に無理を言って

後払いにしてもらった。

慌てて家族に連絡して

財布を届けてもらうよう頼んだ。

 

さらに酷いことに

受験には身分証が必要なのだが

財布に入れているそれらも一緒に忘れてきてしまった。

受験会場の受付で狼狽えていると

特別措置ということで許してもらった。

これはかなりついている。

 

悪いことは続き

筆記用具も忘れた。

財布と筆記用具を入れたカバンごと

家に置いてきてしまったのだ。

これはとなりの席の女子高生に借りて

事なきを得た。

何なら女子高生と話せてついている。

しかし受験票に書いてあった持ち物のうち

受験票以外の全てを忘れてきただなんて

本当に大人としてどうかと思う。

 

周りを見渡すと

受験者は高校生が多そうだ。

高校生7割、大学生2割、その他1割、くらい。

何となく大学生ですよ、みたいな感じの雰囲気を

醸し出せないか努力してみたが

誰も気にかけてはいないだろうと思ってやめた。

 

ここまでついていれば

肝心の試験はバッチリだろうと思ったが

出来栄えはかなりビミョーだ。

合格基準の6割にギリギリ達しているか

いないかと言ったところだと思う。

どうにかぼくの運が届くことを祈る。

 

とても暑い日だった。

炎天下の中財布を持ってきてくれる妹を待ち

無事受け取って、モスバーガーを食べて帰った。

前日眠れなかったため

帰宅してから3時間昼寝した。

 

 

死とか不安とか

ブログをサボっている間に

夏至が過ぎ6月が過ぎ

一年の半分が過ぎた。

梅雨が過ぎ

日本のW杯が過ぎた。

過ぎたものばかり数えてしまうのは

多分心に栄養が足りていないのだろう。

外は雨で

列島の上空には台風が渦巻いている。

おかげでいつもよりは涼しくて助かる。

 

ここ一週間で急激に

自己肯定感が低くなり

心が病んでいる。

直接の原因は無職の身に重税がのしかかり

お金の心配が真に迫っており

何かを決断しなくてはいけないところに

差し掛かっているからだ。

普通それなら単純に

ならば働くしかあるまい、と

アチェンジすれば済むところ

どのように生きるべきか、という命題が邪魔して腰が重い。

こういうところが自分の嫌いなところで

自分を嫌うと自己肯定感が低くなり

心は病んでいく。

ぼくを救えるのは自らの決断だけなのだ。

そこまで分かってて病ませているのだ。

 

デカルトハイデガーサルトルバタイユの本に触れ

不安、決断、死について学んでいる。

何かしら決断を下さなくてはならない。

しかし十分に吟味された決断でなくてはならない。

哲学を学ぶ良い機会だと捉えている。

 

 

英検の二次試験が迫り

対策の講座を受けてきたが

舐めていた、かなりドギマギする。

明日明後日は気を取り直して

しっかり英語の勉強をやる。

 

サッカー派、野球派の話と水の話

スピッツミスチルならスピッツだし

はっぴいえんどムーンライダーズならはっぴいえんどだし

野球かサッカーなら野球なのがぼくだ。

どちらが好きか、というわけではない。

どちらも好きなのだけれど

選ぶとなるとこっち、というかんじ。

野球派サッカー派は何となく

無根拠ながら人間の性格を区分するのに

有用な気がしている。

 

それでもW杯は毎日のように観ている。

日本代表の試合ももちろん楽しみなのだけれど

ハリル監督解任騒動で見え隠れした

協会のキナ臭さが気になって

どこか盛り上がり切れないところがあるのが残念。

思い入れのない他国同士の試合を観るのは面白い。

ベルギーの強さに感心したり

コスタリカの忍耐に感動したり

毎晩つい夜更かししてしまう。

 

それで今朝はつい朝寝坊して

いろいろルーティンをすっ飛ばしてしまった。

四年に一度のことなので仕方ない。

償うような気持ちで家事をがんばった。

 

昨日から風呂が壊れている。

湯船に穴が空いた、とか言うわけではなく

給湯器の調子が悪く

お湯を張ったり沸かしたりできない。

ついにはシャワーも止まってしまった。

 

今日業者に電話して

応急処置の方法を教えてもらった。

直ったわけではないらしいのだが

とりあえずお湯は出る。

 

いつ止まるか分からないので

シャワーを使うのも躊躇われ

ぼくは湯船に薄くお湯をためて

半身浴をして

洗体洗髪洗顔

すべてそのお湯で済ました。

 

一度のお湯張りで

平均200Lほど使われるらしいので

今日はきっと50Lくらいで済んでいるはず。

それでも一人で使うには

何だか多過ぎるような気もする。

想像しているより

遥かにたくさんの水を使っているのだな。

 

たまたま英検の英作文問題のテーマが

日本人は水を使い過ぎてはいないか?という内容で

ぼくはそうでもない、という方針で書いたのだけれど

そんなことないな、と今思っている。

200Lの水で35円の水道料らしいので

そんなことなくもないのかもしれないけれど。

 

水について意識を高めるタイミングなのかもしれないな。

薄い毒

自宅の風呂が壊れてしまい

入浴できない。

このシーズンに辛い。

明日の朝早起きして

気になっていた温泉へ行こうかと企んでいる。

 

今週毎日いいかんじに早起きできている。

少しは早めに寝るとか

寝る前に動画を見過ぎないとか

多少努力はするが

一番効果がある気がしているのが

アイマスクを装着することだ。

これは科学的根拠がきっと

調べればあるのだろうけれど

調べていないので知らない。

でも睡眠の質は高まっている気はする。

睡眠でお悩みの方は試してみて。

 

今日はよく働いた。

疲労物質を湯船に溶かせないのが残念だ。

ぼくはよく生きる意味とかそういうことを

つい考えてしまうのだけれど

そんなものはとにかく熱心に働いて

湯船に浸かって疲れを癒して

美味しいものを食べてお酒を飲んで

気分よく眠れたらそれでいいじゃないか

と思う。

それがなかなか難しい。

一生懸命働いてクタクタになって

あぁ明日も仕事か…とか思うし

意識高く早起きして

勉強したりしなくては…とか思うし

毎日こんなことでいいのか、とか思う。

 

そういう心のトリップは

こんなはずじゃない、

自分にはもっと可能性があると

感じているところに原因がある気がしている。

自らの生きる道はこれしかない!という

一切の可能性を絶たれた

自由とは真逆の場所でこそ

人生は輝くのではないかと思うのだ。

 

可能性とは、薄めの毒に似ている。

それに思いを馳せていると

どんどん“今”から遠ざかり

上の空で生きてしまう。

 

ぼくは今はその薄い毒を

味わいながら生きている。

 

 

モデル

ブログをサボりがちになってしまった。

書くことがないのではなく

書きたいことが溜まってしまうと

構想を練るだけで時間がかかってしまうのだ。

そしてだんだん面倒臭くなる。

 

何かを継続することは難しいが

最近ひとつコツを覚えた。

サボってしまっても気にしないこと。

むしろ多少はサボることを前提に始めること。

それくらいのつもりでいた方が

案外続くし、復帰もしやすい。

毎日ブログ書く!とか

毎日筋トレする!とか

自分と交わした約束を破ると

自分のことが嫌いになってしまう。

完璧主義を捨てると

人生好転するのでオススメです。

 

大阪で震度6弱地震があった。

サッカーW杯が開幕して

日本がコロンビアに勝った。

大きなニュースに埋もれて

何か重要なことを見逃しているような気がする。

まずは自分の足元をきちんと見る。

 

今日は久々に美容院へ行った。

勉強が出来そうな髪型と注文して

いい具合にしてもらった。

 

その後通っている英会話スクールの

ホームページ用の写真撮影に

生徒役として出演する仕事をこなした。

笑顔と講師陣とのアイコンタクトが長くて

神経をすり減らした。

2時間もかかった。

 

暇だったので引き受けたが

今日は通常のレッスンもあり

一旦帰宅して予習に取り組んだが

疲れ果てて眠ってしまい

ほとんど何もできずまた出かけた。

レッスンはいつもと違う先生で

また少し緊張した。

 

美容院でも美容師さんとの会話は

少なからず緊張する。

緊張していると尻に力が入っていることを発見した。

今日はそんなわけで一日中緊張していたので

今とても疲れている。

よく眠れそうだ。

 

 

父の日

毎年母の日はブーケを

父の日はシャツとネクタイをプレゼントしている。

数年前からそれも毎年少しずつ

値段を上げたものを選んでいたのだが

今年はあまりお金に余裕がないので

少しグレードダウンしたものを選んだ。

来年はもっと驚かせたい。

 

本日父の日は

父の好きなビートルズのTシャツと靴下を買った。

ぼくもビートルズは大好きなので

別の柄で買おうかと思ったのだが

気恥ずかしくてやめた。

 

弟は特に用意はなく

妹は日本酒を買っていた。

弟に気を使って妹は

一緒に買ったことにしようと提案したが

弟はそれを断った。

どちらも優しいな、と思う。

 

大々的にプレゼント披露の時間を設けてしまうと

弟に気不味い思いをさせるなと

夕飯の食卓に家族が揃う前に

ぼくの分はサッと父に渡してすませた。

 

食事の途中に妹は

父に日本酒を買ってある、と告げた。

我が家の物置に冷蔵庫があり

そこに入れてあるので

何か手が離せない理由があったか

父にとって来てくれと言った。

 

少し戸惑い気味に取りに行ったが父は

見つからなかったと言って戻ってきた。

おかしいな、と言って妹は

自分で取りに行って

真ん中にすごく分かりやすくあったよと言い

それを父に渡した。

 

妹が父にそれを取りに行かせた理由は分からない。

単に面倒だったのか

夜に物置に行きたくなかったのか

何かしら気遣うことがあったのか。

一方、多分だけれど

父がそのプレゼントを見つけられなかった

というのは嘘だろうと思う。

何というか、プレゼントは

それを用意して、渡して

開封してみるところまでがプレゼントで

それをおざなりにされたくなかったのだと思う。

人はそういうところを面倒な人だなと思うかもしれない。

でもぼくは何となく父の気持ちがわかる。

おざなりにされるとそれはプレゼントというより

義理で行うイベントみたいなものに成り下がってしまう。

せっかくプレゼントとしてもらえるなら喜びたい。

 

母の日、父の日、誕生日、

バレンタイン、ホワイトデー

愛し合っている恋人同士なら

プレゼントを送りあえるイベントは楽しい。

それが親族となると

毎年やらんでも、と面倒な気持ちにもなるが

やらなければカドが立つかもしれない。

億劫な気分でこのイベントをこなしている人は多かろう。

 

いっそ無視したっていい。

何ならもらえる側から

もう要らないよ、と告げるのもいいかもしれない。

 

でもぼくはせっかくなら

何に数度くらい、そういうイベントがあって

その時くらい贈り物をしたっていいじゃないか

と思うし

せっかくならお互い幸せな気持ちで

その日を過ごしたい。

気が乗ればメッセージを添えたり

勇気があれば感謝の言葉を添えてもいい。

そういう風に考えられるようになった自分は

大人になったものだと思えるし

いつかぼくに家族ができた時

父の日を面倒くさがられない父でいようと思う。