サイコーブログ

まずは日記から

マッチボックスの結成は2008年とか 確かそのあたり。 当時大学一年生のぼくはオリジナル曲を披露する場がほしくて 軽音サークルに居場所を求めるも内気な性格のせいでなじめずにいた。 同じような境遇にある人が同じクラスに3人いて ぼくを含めて4人でバンドを組んだ。 全員ビートルズが好きだったので バンド名はビートルズの曲名から選ぶことにした。 マッチボックスは、ビートルズの初期のアルバムに入っている カール・パーキンスのカバー曲だ。 とても地味な曲だし、全然人気もない。 でもその響きが、何かとてもしっくりくるかんじがあった。 『ウォルラス』なんてのもあった気がする。 それもよかったけれど、やっぱりマッチボックスだった。 1年くらいカバーを練習して 徐々にオリジナル曲を導入した。 メンバー全員が曲を書く。 数か月に一度、4人で集まってギター弾き語りで 各々の新曲発表会をやった。 とても緊張したけれど楽しかった。刺激的だった。 誰の曲も素晴らしいものばかりだった。 本当にビートルズにでもなったような気分だった。 時が経って大学生活が終わるころひとりバンドを去った。 大学を出てからは残った3人と サポートメンバーを探しながら活動を続けた。 就職はしなかった。 演奏中は楽しかったけれど どんなイベントに出てもどんな手を打っても それが収入に繋がる予感はなかった。 ぼくは焦った。 遊びでバンドをやるつもりはなかった。 バンドのことを経営という観点でばかり考えていた。 そして段々メンバーとの関係が歪んだ。 ひとり辞めて、残ったふたりでしばらく頑張ったが 結局バンドは解散した。 ぼくは『マッチボックス』という響きが気に入っており その名を冠した曲名もつけていたので マッチボックスという名義は引き継がせてもらった。 その後ぼくはアルバイト先の某アパレルメーカーに就職し 細々と楽器の練習と新曲を書きながらも仕事に打ち込んだ。 仕事は楽しかったし、やりがいもあった。 けれどこのまま一生この仕事をするのかと 毎日自分に問いかける日々が続いた。 せめて1枚アルバムを作ってみたかった。 月日は流れ、29歳の秋、ついに退職した。 とは言え一人でアルバムが作れるはずもなく 弟を誘うことにした。 ぼくがドラムとボーカル、弟がギターとベースを担当した。 エンジニアを雇い、練習、アレンジ、打ち合わせ、レコーディング、ミックスダウンと 作業は数か月に及ぶも ついにアルバムが1枚完成した。 タイトルは『HOW ARE YOU』と名付けた。 マッチボックスを応援してくれていた昔の友人たちへ こっちはこんなかんじだよ、そっちはどんな暮らしだい?と あいさつをしたかったからだ。 本当はマッチボックスはすでに死んだものとして きちんと葬って次に進むべきなのではないかとも思う。 固執するべきじゃないんじゃないかと。 今は他にいい名前もないし、本名は気が乗らないしで とりあえずそのまま名乗っている。 いつか改名するかもしれないし、しないかもしれない。 アルバムの感想は有難いことに うれしい反応がたくさん返ってきている。 元々曲の良さには定評があったし ぼくの演奏も少しはマシになったし 何より弟のアレンジとプレイが アンサンブルのクオリティを格段によいものにしてくれた。 まだまだ満足のいく出来栄えではなかったが 自分たちの持てる技術はほぼ出し切った。 ただその後これといって新たな展望は見えなかった。 ライブオーディションに出たりしたが 芳しい成果は得られなかった。 そのうちお金がなくなってまた働かなくてはならなくなった。 これを書いている今現在は無職だ。 しかし次の仕事の研修がはじまることが決まっている。 音楽事務所各社のデモテープオーディションに 17社ほど応募してみた。 それの反応を待っている。 今後音楽とどのように関わっていくか 自分でもまだ決めかねている。 チャートで1位を取りたいとか 日本武道館のステージに立ちたいとか 有名ロックフェスに出たいとか できるものならやってみたいけれど できなくても死んだとき後悔はしないだろう。 理想は衣食住と同じレベルで 音楽をやれたらいいな、と思う。 いつも新曲のことを考えていて 何曲かそろったらレコーディングをして アルバムを作ってリリースする。 それを引っ提げてライブに出向く。 仲間のライブイベントに呼ばれたり ぼくらを気に入ってくれた人から演奏の依頼が来たりする。 そうやって段々ぼくらの曲が ぼくらを愛し、必要としている人のもとへ 届けばいいなと思う。 このブログはそんなぼくらの活動の 手助けになれば、と思って書いている。 マッチボックスはのろしを上げる。 以後お見知りおきを。
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